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ザ・ロック Dwayne Johnson Picture

ザ・ロック Dwayne Johnson

Born
Dwayne Douglas Johnson , アメリカ合衆国 カリフォルニア州ヘイワード
Birthday
1972-05-02
Occupation
Actor
Spouse(s)
Years Active
1999年–
Biography
ザ・ロック(The Rock)ことドウェイン・ジョンソン(Dwayne Douglas Johnson、1972年5月2日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、プロレスラー。トリプルH、ジ・アンダーテイカー、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと並び、1990年代末から2000年代初頭にかけてビッグ4として、WWEの代表的な選手である。現在は本名名義で俳優活動をメインとしている。

ザ・ロック(The Rock)ことドウェイン・ジョンソンは、アメリカ合衆国の俳優、プロレスラー。

1990年代末から2000年代初頭にかけ、WWEでトリプルH、ジ・アンダーテイカー、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと並ぶ「ビッグ4」の一角を占めた代表的な選手である。現在は本名名義で俳優活動をメインとしている。

カリフォルニア州ヘイワード出身、ホームタウンはフロリダ州マイアミ。祖父、父共に名プロレスラーであり、三世プロレスラーとして知られる。身長196cm、体重118kg。2001年のハムナプトラ2で映画俳優としてデビューし、2003年から本格的に俳優としての活動を開始した。プロレスやアメフトのバックグラウンドを生かし、俳優への本格転向後も役作りに必要ならばビルドアップした肉体やアクションを見せている。なお2011年の復帰以降もWWE公式サイトでは体重260ポンド(約118kg)とされている。

ザ・ロックとして「偉大な男(The Great One)」、「全ての娯楽界一シビれる男(The Most Electrifying man in All of Entertainment)」、「皆の王者(The People's Champion)」、「猛牛(The Brahma bull、ブラフマ・ブル)」、「ロッキー(Rocky)」など数多くのニックネームを持つ。猛牛のモチーフはオリジナルデザインの王座ベルトやグッズにも用いられている他、右肩には彼の象徴でもある片眉を吊り上げた表情(ピープルズ・アイブローとも言われる)をした赤目の猛牛のタトゥーが施されてある。モデルは子供の頃から好きだったというインド牛で、粘り強いが、同時にやさしく、感受性も豊かという意味が込められている。また2003年頃から、左半身を中心にサモアの伝統的な刺青を加え続けている。なお、日本においては「ロック様」と呼称されることが多いが、これは自らを三人称(The Rock)で語る口調をWWEの字幕放送を行っているJ SPORTSおよび翻訳会社のルミエールがそのように訳したことから始まるとされる。

プロレスラーとしては、WWE(当時WWF)デビュー当初こそ凡庸なキャラクターで観客の不評を買ったが、徐々に精悍な顔立ちに高い身体能力と優れたマイクパフォーマンスの能力を発揮していき、わずか数年で高い人気を獲得した。試合中、リング外を問わず観衆を沸かせることに非常に長け、グラウンド的なレスリングスキルの意味に限定されない高いレベルの総合的なプロレスのセンスを持っていた。特にスティーブ・オースチンのスタナーなどの技を受けた際に、身体能力を活かし派手に跳ね上がるような受け身を行うのも特徴的であった。

俳優としても、プロレスラーとして獲得した能力はコミカルな演技やアクションシーンなどで発揮されている。活動開始当初はB級映画の出演が多かったものの、2009年のウィッチマウンテンのヒットを契機に着々とヒット作への出演が増えていき、2013年にはフォーブス調査のハリウッドスターの収入ランキングで5位に入った。以降2018年現在まで上位に座り続け、ハリウッドスターとしての地位を確かなものにしている。また2013年のオーバードライブを皮切りに、徐々に製作側として参加することも増えている。日本でもワイルド・スピードシリーズやGIジョーシリーズの出演により、肉体派俳優としてプロモーションされる機会が増えている。

1990年代末から2000年代初頭の活躍によりすでにプロレスラーとしては成功し切っていることもあり、インタビューで引退をほのめかすような言葉を口にすることもある。正式にプロレスラーとしての引退を宣言してはいないが、現在基本的には俳優としての活動が主であり、俳優としても評価され契約から万が一にも怪我出来ないため、2011年のWWE復帰後もレッスルマニアなどの大舞台での散発的な試合復帰に留まっている。事故が起きる可能性も考慮され、自分で車も運転出来ないという。

これに前後して『スタートレック:ヴォイジャー』、『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』へのゲスト出演をきっかけに映画俳優転向を志し、『スコーピオン・キング』で初めて主演を務めた。この作品の撮影からの復帰後にもWWE統一ヘビー級王座を獲得したが、サマースラムでブロック・レスナーに敗れて転落。

2003年1月にWWEに復帰すると、映画スターとしてのキャラクターを誇張するヒールに変貌を遂げる。ノー・ウェイ・アウトではホーガンとの再戦、WrestleMania XIXではストーンコールドとの3度目となったレッスルマニアでの対戦(なおこれがストーンコールドの実質の引退試合となっている)、バックラッシュでは「WCW最後の大物」ビル・ゴールドバーグのWWE初試合と、世紀の対決を連発した。

2004年、当時エボリューションと抗争していたかつての相棒ミック・フォーリーを助けるために3月1日のRAWに登場した。そして3月14日のWrestleMania XXではミック・フォーリーとのタッグ「ロックン・ソック・コネクション」を復活させ、エボリューションとのハンディキャップ・マッチを行ったが、試合には敗れてしまった。5月17日にはジョナサン・コーチマンに口撃されていたユージンを助けるために突如登場。途中ユージンに「好きなレスラーはトリプルH」と言われてしまう一幕もあったが、二人でコーチマンを一蹴し大歓声を受けた。6月21日に自身の地元マイアミで行われたRAWにも登場している。そこでは自身と同じ三世スターであるランディ・オートンと口論となったため、GMのエリック・ビショフに追い出されるような形で会場を後にしたが、十分に存在感を見せつけた。しかし、これを最後にロックはWWEのリングから7年弱もの間遠ざかることになった。

2007年3月12日のRAWにビデオながら突如登場し、WrestleMania 23で行われるビンス・マクマホンの代理選手ウマガとドナルド・トランプの代理選手ボビー・ラシュリー勝負について語り、久々に決めゼリフも披露した。

2008年3月29日、祖父ピーター・メイビアと父ロッキー・ジョンソンのWWE殿堂入りを紹介するプレゼンターとして式典に姿を見せた。同年公開の映画『ゲット スマート』ではメインキャストの1人としてスパイを演じている。この年、米国の雑誌『エンターテインメント・ウィークリー』のインタビューに答え、「私はそのニックネームと共に全てを築いてきたことを承知しているが、そのネームバリューなしに何かもっと多くのことが出来ないものかずっと模索してきた。(私の名前が)“ザ・ロック”からドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンへ、そしてドウェイン・ジョンソンへと変わるのは自然の成り行きなんだ」と語り、ザ・ロックというキャラクターと訣別する意思を持っていることを明らかにしていた。

2009年には主演映画『ウィッチマウンテン/地図から消された山』は北米での公開週の興行成績が1位となるなど、俳優としての注目度及び評価も徐々に上昇していった。同年、スマックダウン10周年記念放送にビデオメッセージで久々に出演。当初は自らをドゥエイン・ジョンソンと名乗り映画スターとして落ち着いた口調で話していたが、次第にザ・ロックのキャラクターを思い出していき、最後は往年のロック節を聴かせ、復帰こそ明言しなかったものの、今なおスマックダウンの主役は自分であること、RAWのホストとしての出演を示唆するなどした。
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